CEO MESSAGE

代表取締役

自分の人生を、どれだけまじめに大切にできるかで

毎日も、10年後も、50年後も変わります。

目標や野望があれば、それを実現するために働けばいい。

 

知らない世界を知る喜びや、自分の成長を実感するおもしろさ、

稼ぐことに楽しみを見出すことも、ここでの仕事を通じて手に入れることができる。

全部、自分しだい!-Everything is up to you!-

 

自分のために働く人は、自分を本気で磨きます。

それが会社にとっても大きな力になるのです。

だから、とことん自分のために働いてください。

 

負けず嫌いは大歓迎。

 

未来はいくらでも、

自分しだいで変えられるのだから。

With the will,

You can change your future.

 

<金属製品の始めから終わりまでカバーできる自社工場 >

 

「ピン屋一筋、半世紀」。

当社の事業内容をひとことで表すと、こうなります。

一見シンプルなピン1本でも完成するまでにはたくさんの工程が必要です。

データ作成→旋盤加工→フライス加工→マシニング加工→熱処理→研削加工→放電加工→磨き→測定

 

こうやってようやく1本のピンができます。

私達の会社では、自社の工場内だけで、最初から最後までの工程を行うことができます。

 

ただし、ピンだけを作っているわけではありません。

「硬くて腐食しにくく高温にも耐える。変形にも強い。精度も2ミクロンまで出せる」

という技術を使って、あらゆる金属製品を作っています。

例えば、医療器や自動車部品などです。

 

創業以来、オーダーメイド部品を得意としているので、小ロットから対応できます

なので、私達の精密金属機構部品は、すべてといっていいぐらい受注生産です。

 

<特注部品の生産ならば、東証1部上場企業よりも上 >

 

金属製の精密機械部品を作る会社には東証1部上場しているような大手もあります。

一方、当社は国内の正社員は100人、海外を加えても260人の中小企業です。

 

しかし、大手は量産金型部品なども同時に作っていて、むしろ重点はそちらにあります。

特注部品に限って比べてみるならば、当社の方が生産額は多くなります。

また、最大手企業様も私達の実力を認めていて、技術提携の申し込みをしてくるほどです。

 

<どこよりも早く取り組んだ海外進出で、

  リーマン・ショックのダメージを回避 >

 

創業は1966年です。量産金型部品を主力製品にしていた会社から、

金型部品販売部門が独立する形で始まりました。

 

メンバーは先代社長の水谷照彦ら3人だけです。

すぐに自分たちでも金型部品などを作り始めます。

 

その後の業績は順調でした。

すでに高度成長期が始まっており、

カラーテレビ・クーラー・カー(自動車)の、

「新・三種の神器」に象徴されるような工業製品に、

一般の家庭でも次第に手が届くようになりました。

 

これらにはスイッチ類やパネルなどにプラスチック製の部品が使われていて、

部品を作るための金型も需要がどんどん伸びていきました。

バブル経済崩壊後も、会社の成長は続きました。

 

1999年11月、中国・上海に現地工場を立ち上げます。

まだ同業者や得意先もあまり中国に進出していない時期でした。

「いずれ日本から多くのお得意先様も来るはずだ。待ち構えていよう」

と、先見性を持って海外に進出しました。

また、中国現地の製造業の伸びにも期待していました。

 

2007年には韓国の首都ソウルに隣接する富川(プチョン)市に、

2011年にはインドネシアの首都ジャカルタ近郊の、

ジャバベカ工場団地にも現地工場を作りました。

 

それぞれ、

「韓国の半導体産業の成長が著しい。

私達も現地の会社を相手にしたビジネスチャンスがあるはずだ」

「インドネシアではすでにオートバイの生産が増えている。

いずれは自動車の生産も本格化するだろう」という考えのもと、

韓国・インドネシアにも進出を決めました。

 

先見性を持って海外に進出していた結果、

当社はリーマン・ショックによる経営危機を和らげてくれました。

 

金融業界だけはなく、世界中の経済が大ダメージを受けました。

しかし、中国はやや立ち直りが早かったのです。

当社の製品も中国国内での売り上げの落ち込みは少なく、

また、価格競争力の高い中国工場の製品を日本で売ることで、

他社に差をつけることができました。

同業者はいくつも倒産しました。

しかし、私達CHAMPION CORPORATIONは赤字さえ出さずに乗り切ったのです。

 

<いずれは工場長も女性に!

  女性だけが働くYAO FACTORY(八尾工場) >

 

2018年春、もうひとつ全く新しい取り組みが始まりました。

東大阪市の南隣・八尾市に女性だけが働く工場、

「YAO FACTORY」を立ち上げたのです。

 

現在は、まだ女性5人程度しかおらず、工場長も男性です。

しかし、いずれ本格稼働すれば女性のみで15〜20人が働くことになり、

そのときには工場長も女性の中から抜擢します。

 

ここでは次のような工夫がされています。

(1)担当する金属製品は小型のものを中心にし、

   重いものを運ばなくていい

(2)家庭を持っている人のために、勤務時間を柔軟にする

(3)経験を積まなくても操作できる機器を取りそろえる

特に(3)は、「『男女平等』といっても、家庭の仕事は女性任せになるのが今の現実。

子育てや介護でキャリアが中断した方でも、大きな負担がなく仕事を再開できる。」

といったことを視野に入れています。

YAO FACTORYの成功が確認できれば、

ほかの工場でも同じシステムを採り入れていく予定です。

 

<「モノづくりのまち」東大阪市で鍛えられたタフな製造会社 >

 

本社と主力工場がある東大阪市には事業所が6,000余りもあります。

この数字は、大阪市、名古屋市、京都市、横浜市といった、

県庁・府庁所在都市に次いで第5位です。

密度でいえば、圧倒的な全国1位で他を寄せ付けません。

 

小規模な工場が多いにもかかわらず、大半が大企業の傘下に入っていないのも特徴です。

「小なりとはいえ、一国一城の主」といっていいでしょう。

それらの工場の技術の高さもあって、

東大阪市は「モノづくりのまち」と呼ばれるようになりました。

 

新幹線や航空機・宇宙ロケット、東京スカイツリーなどでも、

東大阪市の工場で作られた部品が使われています。

当社もそのなかでライバル会社と切磋琢磨し、

短納期・低コスト・高品質の面で鍛えられ、

「たとえニッチなジャンルであってもいいから、トップ企業になる」

ことへの執着も東大阪市の土壌で培ったものです。

 

流通手段の発達もあって、取引先は日本全国に広がっています。

海外での事業展開は同業者のどこよりも早く始めました。

世界のどこのお客様であっても、

「金属製品の特注部品ならば、CHAMPION CORPORATION。

どんな無理難題をいっても実現してくれる」

とご注文を頂いております。

水谷 昌晃
代表取締役CEO